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最近、過去のことがふいに記憶の淵から呼び覚まされることがあり、自分がいかに異端児だったかを思い知らされ心中で修羅場になっていたりする。

で、この歳だから言えるというか…冷静に母にそういう話を振れるようになり、意外に母も素直に応えてくれるので、だいたい当時のことを聞き出すことができた。

やはりわたしは一般的な子供よりも“遅れ”ていて、気苦労をかけたようだ💦

わたしが本当に心の底から学校を嫌がっていた、義務教育の意味をさっぱり理解しなかった、コミュニケーションが不得手なことに関して自覚症状がなかった、善悪の判断に乏しかったなど、淡々と語られる事実。母はどうにかわたしがこの世界で生きていけるように藻掻いていたらしい。

そして、常に疑問だった、“母がなぜ、穏やかだった時がないくらい日常的に怒っていたか”の答えは、
「声を荒げて頻りに促さなければ、一日のルーティンをこなせなかったから」
だった(人形やったんかw)。

しかも当の本人(わたし)は母が怒っている意味、ルーティンの意味、生活するということ、生きるということ、まったくもって理解せず。ただ促されるまま、うるさいのシンドイから漸く動く、みたいな感じだったようで。この辺の心境は朧げなんだけど。

ただ本当に、…ほんっとうに、生き辛かった。

人間関係うまくやれないのは、当時は周囲がイチイチいじってくるからだと思っていた(自分自身を省みない)が、実際はそうではない。わたしが他人の心情を読み取れないのと、あまりに異端な性質のため、クラスメイトは本気でわたしを気味悪がったんだなと。そして厄介なことに、年齢を重ねるごとに変に知恵もついてきて、見栄っ張りと狡猾さを身を守る術にしたのが主な原因じゃないかなと思う。

しかも、小学校高学年にもなると、ある程度は社会性や倫理観などわかってきそうなものだが、わたしが気付き始めるのは社会人になってからなので、それまではかなりイタイ言動で周囲に迷惑をかけまくってきたってことになり。家族や友達には本当に申し訳ないな、と、穴があったら埋もれて沈んで浮かび上がってきたくないくらい懺悔の気持ちが溢れてる…。

でも、本当にわからなかったんだ。何故、生きることが苦痛で仕方なかったのか。それでも、しんどかったけど、その辛さを誰にも言えなかったし、言ってはいけないと思っていた。両親の生き方を見てきたから。あとよく「〇は地球を救う」番組等を観ながら、自分より大変なひとが精いっぱい生きているんだ、自分が不幸だと思うのは恥だ…などと、言い聞かせられていたのもあるかも。

わたしはあの種類の番組が大嫌いだった。自分が背負っているものを理解してもらえるなんて、とても幸せなことじゃないかと。

自分が抱えていた不満や不安を素直に親に言えてたなら、もうちょっとマシな人生歩めてたかもしれないな、たられば論なんてもう意味ないけどね。

はぁ、それでも、吐き出せてよかった。昨日、母と話をして帰宅後、ひとりで部屋で

「本当に、きつかったなぁ」

と自分を慰めるつもりで声に出し、泣いた。誰よりなによりうまく生きれなかったけど、何とか、好い人に拾ってもらえて、生活できてる有難さに感謝。あと、今となっては、本当のことをわたしにも周囲にも漏らさずに悪戦苦闘していた母にも感謝。

もう少し、優しくしてもらえたらよかったけど…って、それは贅沢なのかw

カテゴリー: 雑多

kitsugin

・40代、とりあえず既婚、子なし ・関西在住 ・一日の8割はボーっとしています ・飽き性で凝り性(バランス悪い…) ・文鳥を愛でているときが一番幸せ ・どこかの企業で派遣で働かせていただいています。  ←どっかの学校で講師アシスタントしてました